保険医の生活と権利を守る東京保険医協会

論説・コラム

  • 銀杏並木【銀杏並木】アベノミクスの実相  先日衝撃的な報道を眼にした。日経新聞によると、同社の試算では日銀と年金積立金管理運用独立行政法人(GPIF)を合わせた公的資金が、東証一部上場企業の4分の1社の筆頭株主になったという。また東京新聞によると、米通信社ブルームバーグの試算では、日銀が来年末には電通や住友不動産、オリンパスなど55銘柄で筆頭株主になる見通しとのこと。 ...コラム2016年10月25日
  • 東大名誉教授・醍醐先生写真【視点】高薬価維持のからくり(下) 薬価を高止まりさせる流通過程 醍醐 聰(東京大学名誉教授) 不正常な取引慣行「仕切価格」  2006年9月、公正取引委員会は「医療用医薬品の流通実態に関する調査報告書」を公表した。この調査は、後発医薬品の使用や医薬品の共同購入など、薬剤費の抑制に大きな効果が期待されている取り組みが進まない背景に、非競争的な取引形態や取引慣行が存在するのではないかとい...論説・視点2016年08月25日
  • 東大名誉教授・醍醐先生写真【視点】高薬価維持のからくり(上) なぜ新薬は高いのか 醍醐 聰(東京大学名誉教授)  C型肝炎治療薬「ハーボニー」は1日1錠8万円、肺がん治療薬「オプジーボ」は年間26回の投与で3,500万円などと、高額の薬剤が話題になっている。米国についで薬の価格が高いといわれるのが日本だ。高薬価維持の仕組みを東京大学名誉教授の醍醐聰氏に聞いた。 患者と保険財政にのしかかる新薬の高額化 ...論説・視点2016年07月25日
  • 都庁画像都知事選挙 7月31日投票 国政が生み出した矛盾と困難の解消も課題  7月31日投開票の東京都知事選挙がはじまった。徹底的な論戦を期待したい。  東京都の2016年度一般会計予算は7兆円を超え、豊かな財政基盤を誇っている。「社会保障の財源がない」の言い訳は通用しない。  東京オリンピック・パラリンピックを口実にした新施設建設・道路・鉄道・駅再開発等の大型開発予算、不要不急の公共事業を見直すな...論説・視点2016年07月25日
  • コラム_平和リレートーク平和リレートーク 「子どもたちに遺したい」 私は“戦争を知らない子ども(たち)”である。生まれてこの方、日本は平和なのが当たり前、この先もずっと戦争のない国だと思っていた。平和ボケと言われようと、二度と戦争をしないと誓ったこの国を、世界に誇れる平和憲法を誇りにも思っていた。 子どもの頃、バタヤ部落と呼ばれるバラック集落はあった。浮浪児もいたし傷痍軍人の姿も普通に見られた...コラム2016年07月05日
  • gra_columnbi平和リレートーク「開業医の徴兵について」 支那事変では日本は100万の大軍を中国に送り込み、太平洋戦争の終りには約800万の日本の軍人がいたと言われていて、それに見合う軍医は約3万人いたのではないかと考えられている。 軍医になるには凡そ3つの方法があったようだ。医学生のときに軍医の教育を受けておくと、大学卒は軍医中尉に、医専卒は軍医少尉に任官された。 2番目は昭...コラム2016年06月25日
  • 須田先生【視点】医療費の財源はある 須田 昭夫(東京保険医協会 副会長・政策調査部長) 日本は医療費の財源があるのに利用されていない 日本人の平均寿命は女性が86.6歳で世界一、男性も世界のトップを争っています。しかし2011年、OECD加盟34カ国のなかで日本は、GDPに対する医療費は20位、人口当たりの医師数は29位でした。WHOは、世...論説・視点2016年06月25日
  • gra_columnbi平和リレートーク「戦争文化から平和文化へ―オバマ大統領の広島訪問に思う―」 広島平和文化センターの前理事長で米国人のスティーブン・リーパー氏は、在職中「アメリカは戦争文化の国、日本は平和文化の国、日本が同盟国としてアメリカに核廃絶を訴えれば、核兵器禁止条約に賛成するだろう」「私も日本に来るまで、原爆使用は戦争の早期終結のためで当然と思っていたが、広島に来てみて考えは変わった」と述べていた。 日本の小学...コラム2016年06月15日
  • 細田悟勤務医委員長【視点】新専門医制度をめぐって 細田 悟(理事東京保険医協会理事・勤務医委員会委員長・病院有床診部部長) 新専門医制度が2017年4月から実施されるにあたり、ようやくその制度の実態が明らかになりつつある。そして、良識ある医療界の多くから、実施延期や中止を求める声明がでている。それは何故か? 市中病院の機能を低下させ地域医療の崩壊を招く この制度の...論説・視点解説・コラム病院有床診部勤務医委員会2016年06月15日
  • gra_columnbi平和リレートーク「戦争はいやだ」 母方の祖父は外科医で10人の子沢山でした。男4名が医師に。長男が日大、5番目が東京医大、6番目が昭和医大、10番目が慈恵医大、孫の私も慈恵医大で1935年生まれ。 長男は1944年召集され、四国丸亀の連隊で火薬庫の番に当り、爆弾が落ちたら終わりだと覚悟を決めたと云いました。 5番目は1943年陸軍軍医として宇品港からヴエ...コラム2016年06月05日