保険医の生活と権利を守る東京保険医協会

論説・コラム

  • 東大名誉教授・醍醐先生写真【視点】高薬価維持のからくり(上) なぜ新薬は高いのか 醍醐 聰(東京大学名誉教授)  C型肝炎治療薬「ハーボニー」は1日1錠8万円、肺がん治療薬「オプジーボ」は年間26回の投与で3,500万円などと、高額の薬剤が話題になっている。米国についで薬の価格が高いといわれるのが日本だ。高薬価維持の仕組みを東京大学名誉教授の醍醐聰氏に聞いた。 患者と保険財政にのしかかる新薬の高額化 ...論説・視点2016年07月25日
  • 都庁画像都知事選挙 7月31日投票 国政が生み出した矛盾と困難の解消も課題  7月31日投開票の東京都知事選挙がはじまった。徹底的な論戦を期待したい。  東京都の2016年度一般会計予算は7兆円を超え、豊かな財政基盤を誇っている。「社会保障の財源がない」の言い訳は通用しない。  東京オリンピック・パラリンピックを口実にした新施設建設・道路・鉄道・駅再開発等の大型開発予算、不要不急の公共事業を見直すな...論説・視点2016年07月25日
  • コラム_平和リレートーク平和リレートーク 「子どもたちに遺したい」 私は“戦争を知らない子ども(たち)”である。生まれてこの方、日本は平和なのが当たり前、この先もずっと戦争のない国だと思っていた。平和ボケと言われようと、二度と戦争をしないと誓ったこの国を、世界に誇れる平和憲法を誇りにも思っていた。 子どもの頃、バタヤ部落と呼ばれるバラック集落はあった。浮浪児もいたし傷痍軍人の姿も普通に見られた...コラム2016年07月05日
  • gra_columnbi平和リレートーク「開業医の徴兵について」 支那事変では日本は100万の大軍を中国に送り込み、太平洋戦争の終りには約800万の日本の軍人がいたと言われていて、それに見合う軍医は約3万人いたのではないかと考えられている。 軍医になるには凡そ3つの方法があったようだ。医学生のときに軍医の教育を受けておくと、大学卒は軍医中尉に、医専卒は軍医少尉に任官された。 2番目は昭...コラム2016年06月25日
  • 須田先生【視点】医療費の財源はある 須田 昭夫(東京保険医協会 副会長・政策調査部長) 日本は医療費の財源があるのに利用されていない 日本人の平均寿命は女性が86.6歳で世界一、男性も世界のトップを争っています。しかし2011年、OECD加盟34カ国のなかで日本は、GDPに対する医療費は20位、人口当たりの医師数は29位でした。WHOは、世...論説・視点2016年06月25日
  • gra_columnbi平和リレートーク「戦争文化から平和文化へ―オバマ大統領の広島訪問に思う―」 広島平和文化センターの前理事長で米国人のスティーブン・リーパー氏は、在職中「アメリカは戦争文化の国、日本は平和文化の国、日本が同盟国としてアメリカに核廃絶を訴えれば、核兵器禁止条約に賛成するだろう」「私も日本に来るまで、原爆使用は戦争の早期終結のためで当然と思っていたが、広島に来てみて考えは変わった」と述べていた。 日本の小学...コラム2016年06月15日
  • 細田悟勤務医委員長【視点】新専門医制度をめぐって 細田 悟(理事東京保険医協会理事・勤務医委員会委員長・病院有床診部部長) 新専門医制度が2017年4月から実施されるにあたり、ようやくその制度の実態が明らかになりつつある。そして、良識ある医療界の多くから、実施延期や中止を求める声明がでている。それは何故か? 市中病院の機能を低下させ地域医療の崩壊を招く この制度の...論説・視点解説・コラム病院有床診部勤務医委員会2016年06月15日
  • gra_columnbi平和リレートーク「戦争はいやだ」 母方の祖父は外科医で10人の子沢山でした。男4名が医師に。長男が日大、5番目が東京医大、6番目が昭和医大、10番目が慈恵医大、孫の私も慈恵医大で1935年生まれ。 長男は1944年召集され、四国丸亀の連隊で火薬庫の番に当り、爆弾が落ちたら終わりだと覚悟を決めたと云いました。 5番目は1943年陸軍軍医として宇品港からヴエ...コラム2016年06月05日
  • 【視点】小児かかりつけ診療料から見えるもの阪南医療生協診療所 所長 眞鍋 穰 小児医療に関する「要望書」にない、小児かかりつけ診療料の不思議 厚生官僚の傲慢の現れか、子どもとその親を取り巻く状況と小児科医の認識の欠如か? 2016年度診療報酬改定で左表のような要件を満たす場合、小児かかりつけ診療料が算定可能となった。その要件は現在の診療報酬制度改定の常であるが、実は子どもた...論説・視点2016年06月05日
  • gra_columnbi平和リレートーク 「平和な祖国でありますように」 支那事変では日本は100万の大軍を中国に送り込み、太平洋戦争の終りには約800万の日本の軍人がいたと言われていて、それに見合う軍医は約3万人いたのではないかと考えられている。 軍医になるには凡そ3つの方法があったようだ。医学生のときに軍医の教育を受けておくと、大学卒は軍医中尉に、医専卒は軍医少尉に任官された。 2番目は昭...コラム2016年05月25日